私が葬儀屋さんになった訳

のぼりとの杜コラム

大学在学時からテレビ業界で仕事をしていた私が葬儀業界に飛び込んだのは、約20年前。ある時、火葬場の指定管理者をしていた親戚に、「火葬場を見てみるかい?」と案内してもらったことがきっかけでした。

人が肉体として最期を迎える場所。ここで働いている人たちは、どういう気持ちで日々仕事と向き合っているのだろうか。どういうきっかけでこの仕事に携わろうと決めたのだろうか。そう考えだすと気になって仕方なく、自分自身もこの世界の門を叩いてみようと思ったのです。突然の決断でした。

葬儀について右も左もわかりませんでしたから、駆け出しの頃は与えられた仕事をこなすので精一杯。先輩方々に助けられながらなんとかやっている状況でしたが、仕事を始めて二年目に転機となることがありました。

担当させていただいたお客様である喪主の奥様とそのご家族の方から、葬儀を終えて「片桐さんがいなければ、きちんと主人を見送ることができませんでした。片桐さんのお陰です。本当にありがとうございました。」とのお言葉を頂戴しました。「私がいなければ…」果たして、私はそこまでのお言葉をいただく仕事ができたのか。お言葉に感謝の気持ちを感じるとともに、その言葉が私の心に深く突き刺さりました。

単に「仕事をこなす」だけでなく、「大切な人の最期を見送るお客様に何かを届けたい、伝えたいという気持ちを持って仕事に取り組まねばならない」と、改めて身が引き締まりました。私が今もこの仕事を続けられているのは、あの時のお客様のお陰です。今でもお名前もご自宅も家族構成もハッキリと覚えています。

この担当以降、私たちの仕事は祭壇や棺を売るだけではない「人」が商品であることを強く意識しながら業務にあたるようになりました。
私たち葬儀人(葬儀に携わる人を葬儀人と呼んでいます)は、非日常的な出来事である「死」というものに向き合わねばならなくなった葬家へ、葬送サービスを提供すると同時に葬儀の在り方や継承を説明していくことも任務と思っております。

おじいちゃん、おばあちゃんの葬儀に参列しないお孫様も見受けます。「葬儀にはお父さんとお母さんが行くから、学校行きなさい」と。葬送こそ継承であり、親から子、子から孫へと形式ではなく、大切な「人」の生きた証を代々へ繋ぐことが必要と考えます。

縁あって、専門学校の葬祭学科で学科長を6年務めさせていただきました。着任当初は若い人が葬送の業界に目を向けて入学してくれることが驚きでした。と同時に嬉しさも覚えました。
魅力ある業界にしなくてはとの責任も感じました。

「お客様が求める葬儀とは何か」をきちんと引き出せる人材になって欲しい。そのためには「人」と「人」との信頼関係の構築が必務で、葬家の方に不信感を持たれては何も始まりません。私の学科運営は知識や技術よりも「人の心」の葬祭教育だったかもしれません。
卒業生の同期が集まる場で同じ業界の有志として話ができることが何よりの喜びにもなっています。
若い力は宝です。

一人として同じお客様はいらっしゃいません。初めてのご葬儀で不安な方、過去のお別れで後悔した経験がある方、誰もがいろいろな想いを抱えていらっしゃいます。まさに一期一会です。
社名の「貴方の側で」には、そのとき目の前にいるお客様に対して何でもやりますよ、という気持ちを込めました。そんなスタンスでやっているので、地域の方々から「葬儀屋さんらしくないところがいいよね」「何をしている会社かはわからないけど、気になったので話を聞きたい」と言っていただけると、本当に嬉しいのです。

ご葬儀のことだけでなく、皆さんから何か頼っていただけることがあればぜひお役に立ちたい。ちょっと相談してみたいとか、ちょっと誰かと話したいと思われることがあれば、ぜひうちにいらっしゃってください。

今回のコラムは僭越ながら私が葬儀業界に入ったお話しをさせていただきました。今、私がそして会社が存続できているのは地域の方々とお客様のお陰以外の何ものでもありません。
この場をお借りいたしまして感謝申し上げます。
微力ではありますが、これからも縁の下の力持ちとしてお力になりたいと思っております。

今後とも何卒よろしくお願いいたします。