終活という言葉はすっかり定着して久しいですが、実はまだまだ行き届いていないんだなと考えさせられる相談がありました。
「私は独り身で親戚もいない。俺が死ぬときはどうなるのか不安で仕方がない。誰が火葬してくれて骨は誰が拾ってくれるのか。お金もないし。もうこの悩みが数十年以上続いていて精神的につらい毎日で…」
この言葉を聞いて一人で悩み続けてきた辛さを思うと何とも心が痛くなりました。近所の葬儀社にも数年前に一度、相談に出向いたとのことですが「区に相談してください」で終わったそうです。
この十数年もの間、何が心配で何を解決して欲しくての心の声に耳をを傾けてくれる瞬間はなかったのだろうかと考えてしましました。
身の回りのことも自分で動けているうちはいいが、いつ何時どうなるかわかりません。
この方は高齢のおじいちゃんですが自分の終活をしっかり考えていました。ただ、情報と知識が全くありません。お墓のこともそうです。自宅の整理のこともそうです。体もなかなか自由がきかなくなり、ましてやこのコロナ禍。必要最低限以外は外へも出歩かなくなったそうです。
「どこの誰に相談したらいいのかが全く分からない。話を聞いてくれる人はいないのでは」と思っていた中、たまたま弊社のチラシを見ていただけ勇気を出して電話をしたそうです。
期待もしていなかったでしょう。お会いした瞬間は明らかに不信感いっぱいでした。
滞在時間は2時間ほどだったでしょうか。たくさんのお話をしました。悩みも解決いただけました。
話の途中でおじいちゃんの目には涙です。
「泣かなくても!」と私が言うと
「この数十年間の悩みは何だったんだろう。今日、ようやく晴れたよ。本当にありがとう」
さらに続けて
「同じように悩んでいる人はどうしているんだろう。きっとたくさんいるはずだよね。こんな相談ができる場所や人がいるのに、どこにあるのか、どこに行けばいいのかすらわからない。俺みたいな人に教えてやってくれ」と懇願されました。
私が帰る時のおじいちゃんの表情は最初に会った数時間前とは別人のように笑顔です。人の表情って安心しただけでこんなにも変わるものなのかと思うくらいです。
世間では終活があたりまえになってきてはいます。その情報は誰もが知れるものだと思っていました。しかし、おじいちゃんのように不安いっぱいの毎日を過ごしている方がたくさんおられるはずです。見えている場所だけに周知ではまだまだ行き届いていないということです。
この超高齢化社会に本当に必要な寄り添う場所と人と時間は必務に思えます。
おじいちゃんのあの明るい表情は決して忘れません。今、私にできることを改めて考えて邁進していきます。絶対に関係各方面との連携と各分野の知見は必要である。